感謝祭の夜にスーパー(アメリカの田舎らしい超デカいやつ)に買い物が客が詰めかけ、お祭り騒ぎでヒートアップ。商品を奪い合い殺しあう。そこで犠牲になった誰かの関係者が、街の人への恨みつらみから殺人を犯すようになる。監督は『ホステル』、『グリーン·インフェルノ』のイーライ·ロス。これは革命的に面白いホラー映画ですね。
何が革命的かというと、滅茶苦茶ベタなこと。シナリオは過激なまでに凡庸で、もはやここまでベタだと新しい映画を作る必要があるのかというくらい。でもそのベタが、イコール、つまらないにならないのがこの映画の凄いところなのです。殺人鬼があの手この手で若者を殺して回る。ただそれだけのストーリー。気合の入ったゴアに適度なコメディ演出で風味を出しつつ、最後までベタを貫く。上手く作られたベタは至高のエンターテインメントなのだなと素直に感動した。また、殺人鬼がなぜ殺人を犯すようになったのか、という映画的には不毛な説明描写(だってそんなの、殺さないと映画にならないから、に決まってんじゃん)を、コメディタッチで描くことで観る人を飽きさせづらい作りにしてるのも◎。これに関しては後述。
やや逆説的だけど、ホラー映画は観客を驚かせるためのものであってはいけない。登場人物を驚かせること。そうして驚いた登場人物の純粋な驚きが観客に伝わった時に映画的な感動が生まれる。無数のベタなホラー映画が陥っているのが前者で、一部の成功を収めた超名作ホラーは後者(『サイコ』とか『エスター』とか『シックスセンス』とか)。前者の問題点は、いうまでもなく、嘘になりがちなこと。作り手のご都合主義に陥ってしまうこと。たとえば『エスター2』は、ただ「驚き」を用意すれば良いのだと勘違いして、観客を驚かせにいってしまった。だから失敗した。「1」は観客よりまず登場人物を驚かせたから成功したのに。この違いはトロールくらい果てしなく大きい。
この映画の難点は、やっぱり、観客を驚かせることを意識するあまりプロットが単調になっていることだと思う。誰が死に、誰が助かるかが最初から決まっていて、そのことが観客に見え見え。ジャンプスケアで驚かせる演出も、観客を驚かせることにのみ意識が向いている分、簡単に予測がついてしまう。どうせここで来るんでしょう、と思っていたら本当に来る、の連続。ただ、その難点を、過度なゴアで覆い隠し、コメディでみずから茶化しているのはさすがイーライ·ロスだと思う。ベタがエンタメになっているというのはそういうこと。予測できること、を逆手にとって、その予測を上回るゴアと、あえて外したオフビートな笑いを随所に入れてある。この笑いとゴアだけは予測できない笑。
そして嘘は嘘でも、映画の外で忖度しまくって吐く嘘(多様性とか)よりは、観客のための嘘の方がずっと良い。