雪に閉ざされた小さな田舎町ファーゴ。妻の父が経営する会社に勤め、肩身の狭い思いをしている中年の営業部長が、妻を誘拐させ、義父から大金を引っ張ろうと計画するも、その「狂言誘拐」を依頼した相手がサイコパスだった。監督は『ノーカントリー』のコーエン兄弟。同作でこの監督にハマったものの、『ブラッド·シンプル』も『シリアス·マン』も、『ビッグ·リボウスキ』でさえもその魅力を積極的には評価できなかった自分ですが、この作品は大当たりでした。コーエン兄弟の監督作としてのみならず、「殺人事件」を扱ったサスペンス映画においてさえトップofトップの一作だと思う。
誘拐事件の担い手となるのは、スティーヴ·ブシェミ演じる「変な顔の男」と、ピーター·ストーメア演じる『マルボロマンに似た男』。この二人の殺人鬼は、他の映画ではなかなか出会うことの難しい、サスペンス映画史に名を残すべき名キャラだと思う。彼らは揃いも揃って喜劇的な大馬鹿者。でもそれが本作の恐ろしさに直結している。なぜなら、その馬鹿さ具合に「現実」らしさが映し出されているから。行動に一貫性がなく、行き当たりばったりに人を殺す。狂言誘拐で人を殺せば、「狂言誘拐」が成り立たなくなる。そんなこと、ちょっと考えれば分かりそうなものなのに、でも殺してしまう。彼らは本当に何も考えていない。ことによると、何かを考えるための思考力すら欠いた大”馬鹿者”なのです。奪ったお金を降り積もる雪の中へ隠してしまうくらいの大馬鹿者、、笑。
そして、彼ら殺人鬼を追う側の刑事(一応この人が作品の主人公という体になっている)も、一般的なハリウッド映画における「正義」のイメージとは程遠い。それは、彼女が限りなく普通の人間に近いという意味合いにおいて、でしょう。家庭の幸福のために仕事は毎日こなさなくてはならず、その「仕事」がたまたま警察官だっただけ、そんな雰囲気が彼女からは終始漂っていて、実際に、妊娠中の彼女が犯人を追うのは出産休暇を取るまでのもうわずかな時間に限られている。犯人を逮捕できるか否か、それは彼女にとって純粋に職務の問題でしかなく、「正義」だとか「悪」だとか、そうしたフィクション的なばたくさい二項対立を持ち込む余地は彼女の中にはない。普通の人間。それはこの作品を覆うテーマ的な何かであり、その「普通の人間」を、あくまで「普通の人間」のままフィクションの世界に持ち込むことこそ、コーエン兄弟の才能なのだと思う。
『羊たちの沈黙』の成功以来、サイコホラーの伝統では理知的な殺人鬼が好まれてきたことはおそらく周知の通り。『ソウ』のジグソウも、『セブン』のジョン·ドウもそう。すべてを見透かす殺人鬼の知性。それは映画的な装置としては興味深いけれど、ややもすれば上から目線の傲慢さに陥ってしまう。そして、もっと悪いことには、サイコホラーというジャンル自体が嘘くさくなってしまう。世の殺人鬼が皆ミルトンやボッカチオを読んでいるわけではないし、刑務所内でFBIに助言を与えながら「記憶の宮殿」にに篭れるわけではない。むしろ、そうした自らの「知」に自覚的な人間がわざわざ殺人を犯す例は稀でしょう。たとえば、若い女性を殺し欲望を満たすべく女子寮へ押し入ったリチャード·スペックは、居合わせた人間を全員殺して逃げるつもりが、肝心の人数を忘れ、目撃者を現場に残してしまう。何もかもを計算づくでやるよりも、こういうのこそが、世の殺人鬼の実態ではないかと思う。つまり、後先考えないからこそ人を殺す、ということ。事実として、刑務所に収監されているサイコパスの知能は平均より少し下、FBIの行動科学課はそのように分析しているわけで、思考力のない人間ほど人を殺すというのは現実のひとつの側面だと思う(もっとも、「刑務所内」のサイコパスの知能でさえ平均より「少し下」程度なら、娑婆のサイコパスは平均以上の知性を備えていると推測できるわけだけども)。
映画の話に戻ると、特定の映画や文学作品を形容する際にたびたび出てくる、「不条理」という言葉には個人的には全く興味が持てず、血に塗れたシンプルさに「不条理」を求めたい気持ちが前々からあった。人は死ぬ際には大概呆気なく死ぬのだから、映画の中の人物も、映画的な補正など余計なものはかけずにさっさと死んで欲しい。その方が真実っぽいから。そうした意味合いでの「不条理」には、僕はたいへん共感ができるし、本作や『ノーカントリー』におけるコーエン兄弟の魅力は、「不条理」を、真実を描くことに用いる真摯な姿勢にあると思う。「不条理」を映画的な装置として用い、フィクションの面白さを追求した『ブラッド·シンプル』にはまれなかったのは、致し方なかったなど、この『ファーゴ』を観て改めて気づかされる。やっぱりコーエン兄弟の作品は大好きだな、、
最後に、妊娠中の警官に追い詰められた「マルボロマンに似た男」が、殺した相棒を頭から粉砕機に突っ込み、足だけがひょこんと粉砕機の上からはみ出ている終盤のショットは素晴らしかった。粉砕機のガタゴトいう音で警官が近づいているのに気づかず、背中を向けて逃げるも足を撃たれ呆気なく逮捕、の流れも最高。凶悪な殺人鬼が簡単に逮捕されるわけない、私たちの映画的な刷り込みを利用したこういう呆気ない描写ははまさに映画的灯台下暗しで、それを実現できるのは、(こう言うとごく当たり前のことのようだけど)コーエン兄弟ならではの積み重ねなんだろうな。不条理劇の積み重ね。サム·ライミと一緒に撮ったあのおふざけコメディ『XYZマーダーズ』以来の、、、笑。