ヒーロー映画

『ドクター·ストレンジ』が正当に批判されないとヒーロー映画は救われない

奥行きをまったく欠いた、純粋に技術の映画。この映画を見終えて言葉に浮かんだ感想はそれ。

優秀な外科医だったドクター·ストレンジが事故で体の感覚を失い、東洋の神秘的な魔術に頼りを求め、世界を救う物語。しかしそのドラマは表層的で、ヒーロー映画にはこういう挫折(を経ての成功)が必要だとの計算のもと書かれた感じが見え見え。自分の経歴に汚点を残しかねないオペは受け付けないという、いかにも戯画化された「イヤな医者」が事故で挫折する物語を前半で語っておきながら、中盤以降、その同じ人間が「人を救うために医者になったのに(以下略)」などとのたまうチグハグさは流石にいただけない。主人公がジキル博士とハイド氏でもない限りそうした二面性はシナリオ上の手落ちでしかないと思う。


強いていうなら、修行先に選ばれたカトマンズの異国情緒あふれる風景(この部分はさすがに特撮ではないと思う)には、この地でならそういうことが行われてても不自然じゃないよなと思わせる説得力がある。『セブン·イヤーズ·イン·チベット』しかり『アンチャーテッド』しかり、南アジアの神秘性を強調した映画にハズレはないという僕の(滅茶苦茶どうでもいい)ポジティブな偏見が強化された。この映画はハズレだけど。

戦闘シーンは『インセプション』に技術を足したような受け売り感満載の派生作品といった感じ。何でもアリな設定と演出に付いていくのには忍耐力(と寛容性)が求められる。申し訳程度に足されたオフビートなギャグも正直いってかなり寒い。何度も繰り出されるおふざけ的な不発のギャグが作品の品位を下げていることに撮影現場でも編集の段階でも気づけなかったのだとしたらこの映画の作り手(あるいはマーベルスタジオ)はよほどセンスに欠けている。コメディファンを苦笑させるようなコメディはどんなジャンルにであれ入れるべきでないと思う。もちろんこの映画自体がジョークであることの隠喩なのであれば話は別だけど。

これを大真面目に演じたシャーロック·ホームズとティルダ·スウィントン、そして(顔はあまり見えないけど)マッツ·ミケルセンの真摯さには拍手を送りたい。あと、レイチェル·マクアダムスはこういうハンバーガーのように凡庸なプロットの映画でヒロインを演じるのはとても似合ってると思う。なぜこの作品がこんなに高評価なんだろう。

本作を見終え改めて、サム·ライミ版スパイダーマンがあれほど傑作だったのは、特撮技術よりもまず物語の映画だったからだと納得した。スパイダーマンはまったく異質なヒーロー映画で、あの作品にはストーリーがあった。「どこにでもある男女の物語」の破壊力は本当に凄まじかったのだなと。とりあえず、こういう粗野にすぎるストーリーの作品が正当に批判され、淘汰されないと、ヒーロー映画は救われない。「キャストが良かった」なんて感想は映画を腐らせる。

ABOUT ME
タニムラ
YouTubeでホラー&カルト映画専門の解説チャンネル「新タニムラ洋画劇場」を運営中。登録者は約3万人。文章を書くのが好き。映画と文学はもっと好き。