コメディ映画

『モンティ·パイソン·アンド·ホーリー·グレイル』を観て「笑い」とは何かについて考える

アーサー王と円卓の騎士たちが、かつてキリストが最後の晩餐でワインを飲んだとされる「聖杯」を手に入れるべくイギリス中を旅して回る話。60年代にテレビ番組で伝説的な人気を博したコメディ集団、モンティ·パイソン初の長編の劇映画。

そもそもパイソンズとは、オックスフォードとケンブリッジ出身の若者とテリーギリアム笑(笑と付けたけど映像作家としてはこの人が一番凄い。『未来世紀ブラジル』で失望させられた後に『12モンキーズ』で受けた衝撃は一生忘れない、、しかし長いね僕の()は)で構成されたインテリ集団で、その上、監督の1人テリー·ジョーンズは中世史の専門家でもある。劇中に出てくる魔女狩りや疫病の描写は、適当にやっているようで実は手が込んでいることがイギリス史に通じたインテリなら分かるらしい。僕にはそのあたりの機微はよく分からなかった笑。如何せん登場人物たちが徹底的な阿呆として描かれているため、気を抜くとその阿呆さに呑まれてしまう。魔女狩りのシーンなんかは、個人的には、なんて阿呆な…!と感心してるうちに通り過ぎてしまった。

当初は本作に出資したい映画会社はなかったようで、パイソンズのファンだったピンク·フロイド(!)が、アルバム『ダークサイド·オブ·ザ·ムーン』の収益から個人的に出資をしている。低予算ゆえの綻びは随所に見られ、主人公のアーサー王に両手両足を切断されるも勇敢に立ち向かうダルマ男の切断シーンで、明かに肩の部分が出っ張っていたり、劇中に出てくる城が全て同じ城(笑)で、それを別角度から撮ったものだったりする。でもそのちゃちさを知識と工夫で本当に”中世ヨーロッパ”に見せてしまうのが凄い。後述するけど、その作り上げた”中世ヨーロッパ”の世界観が、どんでん返し的ラストに効いてくる。

主人公のアーサー王が農民に権力を振りかざそうとする序盤のシーンで、「なんであんたの言うことを聞かなきゃいけない?「諸君らの王だからだ」「なんであんたが王様なんだ?」と詰められ、「湖の乙女が吾輩に聖なる剣を授けてくださったのだ」と答えると、「びちょびちょの女に剣もらうだけなら俺だって明日から王様だな」と返ってくるコントが僕はとても好き。色んなものを茶化してきた(2作目の『ライフ·オブ·ブライアン』ではキリストを茶化して各国で上映禁止になった)パイソンズですが、1作目からイギリスの建国神話を茶化している。権威あるものへの反感は以降のシリーズでも続いていくこの人たちの個性、というか信念であり、僕はその姿勢がとても好き。

超個人的な感想を添えるなら、ザッカー兄弟×ジム·エイブラハムスのコメディで育った僕としては、ギャグやコントのテンポがもう少し早ければなと思ってしまった。もっとも、パイソンズは、従来のコメディ番組のように「チャンチャン」と落ちがつくことを嫌って、ギリアム制のアニメーションでシーンを繋ぐことでギャグの始めと終わりをあえて不明瞭にしている節があって、その点は評価ができるわけだけど、僕個人としては、そうした微妙な仕切りさえもを取っ払って大量のコントをフルスロットルでばら撒き続けるZAZ(ザッカー兄弟×ジム·エイブラハムス。長いので以降はこれで)のコメディに肩入れしたくなる。

もちろん、これはイギリスよりもアメリカのコメディが、、という単純な比較にはなりえないけど、『Mr.ビーンズ』や『ジョニー·イングリッシュ』にはクスリとも笑えなかった僕が、『裸の銃を持つ男』や『ホット·ショット』シリーズでは、近所迷惑なくらいにガハガハ笑った記憶があるし今でもそうなので、その傾向は多少なりともあると思う。純粋に笑えるのはアメリカのコメディ。作品を支えるインテリジェンスに共感できるのはイギリスのコメディ、ということに(少なくとも現段階では)なるのかもしれない。まあアメリカにはウディアレンという知の巨人をたまたまコメディアンにしたみたいなヤバい天才が例外として存在するわけだけど、その話はまたおいおいにでも。

最後は先述しておいたラスト。何がどう凄いかについては実際に映画を観てほしいのだけど、エンドロール直前の数十秒で、それまで丹念に作り上げた世界観を全てぶち壊す製作陣の漢気に、この人たちの映画は絶対に全作観なきゃと思った。多種多様な工夫で低予算ゆえのほころびを隠し、「中世ヨーロッパ」として成り立たせていた世界観をあれほど完膚なきまでに叩き壊すとは、、凄すぎるよモンティ·パイソン。

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タニムラ
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